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目 次 ]      月刊・お好み書き 1997年7月1日号


「東京の寄席・新宿末広亭消滅?報道」
  …… 笑福亭伯鶴が思いを語る


     

     東京の寄席の老舗である新宿『末広亭』が
消滅してしまうかもしれないといいます。
 殿堂の危機? 落語の危機?に笑福亭伯鶴
がペンを執りました。




◆末広亭
 1897年(明治30)からちょうど100年、第二次世界大戦で全焼し1946年(昭和21)に再建されてから50年の歴史を持つ老舗で、江戸時代創業の上野・鈴本演芸場と並ぶ寄席定席の雄。 JR新宿駅下車、東口から徒歩10分。TEL.03-3351-2974。 開演時間は正午から午後9時30分までで、土日祭日のみ昼夜入れ替えあり。入場料は2,500円。


 6月7日、NIFTYの落語関係の会議室を覗いていると、「東京の寄席・新宿末広亭消滅か?」という記事が、東京発行のスポーツニッポンに掲載されているという情報が書き込まれてあった。慌てて東京の友人に電話して掲載紙を送ってもらったところ、記事は芸能面のほぼ1面を使って「赤字経営に苦しむ寄席の老舗・新宿末広亭が、寄席売却の方向へ進んでいることが明らかになった」というものだった。
 こんな記事が掲載されると、またまた落語評論家とか文化人とか呼ばれる先生方が、鬼の首でも取ったように「落語は現代にあわなくなった」とか「現代にあわなくなった落語は近い将来間違いなく消滅する」とか「程なく落語家自体が消滅する」などとあちこちへ書きまくって下さることだろう。いつものことなのだが、皆さん、危機感を煽ることがよほどお好きらしい。
 曰く「落語家が消滅する」!? 結構ではないか! なんと有り難いことだろう。そうと決まったら、わたしゃ、とにもかくにも健康に留意して、節制にこれ努め、1日に1升の酒を2升にしてでも、何が何でも長生きして、残された最後の一人の『落語家』になってやるだけのことだ。そうなったら、わたしゃ『ニッポニアニッポン』なのだ。わたしが『生きている』ということ、それ自体に重大な意義があるのだ。
 さあ、そうなったらわたしの人生はバラ色に輝く。何せ、『落語家』という人種は、この世にはわたししかいないのだから。今まで『落語家』がやっていた仕事は全てわたしのものだ。ラジオにテレビに舞台、毎日東奔西走。忙しくなること間違いない。きっと金も儲かる。女にももてる。大きな家にも住める。そうなったら、犬と猫をいっぱい飼って、そうそう、いっそのこと、牧場を一つ持って、毎日好物のてっちりを食って、うまい酒を浴びるように飲める。考えるだけで、うきうきしてくるなあ。なんという幸せ。よくぞそれまでの日々を耐え抜いたものだ。楽しきかな我が人生!
 あっ!そうだ。日本で、いや世界にたった一人しかいない『落語家』なのだから、こんな男でも、間違いなく『人間国宝』にわたしはなる。これ、すごいなあ。そうなったら、長火鉢の前でキセルでも加えながら、このわた(なまこのはらわたの塩漬け)か何かでちびちびやりながら「昔はねえ…」などと能書きをたれてみるのもいいなあ。『人間国宝』のわたしと、親しく言葉を交わし、心しみじみ酒を酌み交わしたいという方は、今が丁度いいチャンスなのだ。
 しかし、しかしである。わたしが生きているあと数十年の間には、『落語家』は、真に残念ながら、この世からいなくなることは絶対にない。実力のある奴と多彩な才能に恵まれた奴。世渡り上手な奴は、したたかに生き延びるだろう。それに、「いっぱい持っていた『夢』のほとんどは諦めたけれど、たった一つ、落語家で生き続けたいという『夢』、これだけは捨てる訳にはいかない」という執念深くも情けない、器用な生き様ができない奴も、のらくらと生き残っているはずだ。何せ『落語家』はしたたかなのだ。
 曰く「落語は現代にあわないから消滅する」!? 
 確かに、いずれは今のような我々が演じている形式の『古典落語』という芸は消え去ってしまうかもしれない。『落語』が『大衆芸能』である以上、『大衆』に支持されなくなったら、その芸が滅びてこの世から姿を消してしまうのは、それは仕方のないことだ。それが世の常というものなのだ。『落語』という『大衆芸能』が『無形文化財』としてお上から保護されながら世の中の片隅で生き残ってもなんの意味もないし、それでは『大衆芸能』ではなくなってしまう。『落語』は「我々同様」という人物が活躍する庶民の芸能であって、決して『芸術』などという、何万円も入場料を払わなければ見られないという『芸術』に収まってしまってはいけないのだ。
 しかし、『古典落語』はこの世から消え去ってしまっても『落語』という『芸能』は、形式を替えながらも、何らかの形で生き残り続けるに違いない。やっぱり『落語家』はしたたかなのだ。



大阪のなんばグランド花月には「寄席」の趣を感じにくい
  

情緒あふれる新宿末広亭の入口


 ただ一つ、はっきりと言えることは、たとえ売却が成功したとしても、今日明日とは言わないまでも、『新宿末広亭』が、近い将来なくなってしまうことは間違いない、ということだ。
 都内唯一の木造の寄席(ただ古いだけという話もあるが)、表には寄席幟(のぼり)、出演者の名前を寄席文字で書いた看板。寄席提灯に寄席囃子。新宿の高層ビル街から一歩寄席の中へ入ると、明治や大正とは言わないまでも、昭和初期に引き戻されたような雰囲気になってしまう、何とも言えないあの空間。ゆったりと流れる時間。あの『寄席情緒』が我々の前から姿を消すのは、時間の問題であることには変わりはない。ひいては、都内の『寄席定席』が姿を消してしまう日も、そんなに遠くはないだろう。
 いずれ、「寄席で笑ったことがある」ということが、「俺は双葉山の相撲を生で見たことがある」というように、自分自身の大きな心の財産と支えになる時が来るのかもしれない。
 いや、それよりも、『寄席』を生で見ることができるこの時代に生まれ合わせた我々は、何とか僅かに残された最後の寄席情緒を共有できる、最後の世代なのかもしれない。「寄席という所は、こんな所だった」と、この時代に生まれ合わせた世代として、後世の寄席を知らない世代に語り継ぐ義務があるのかもしれない。



東西、寄席システムの違い
 東京の『寄席』は収容人員は200人前後。落語が主で、漫才、紙切り(観客の注文に応じて紙を切って物をつくる芸)、曲独楽(きょくごま=曲芸的こま回し)、太神楽曲芸(だいかぐらきょくげい=染之助・染太郎師匠のような芸)などの芸が彩りとして入り、落語と落語の間の緩和剤として大切なポジションを占めている。出演者は、落語協会(三遊亭圓歌会長)と落語芸術協会(桂米丸会長)に所属する『芸人』が、10日交代で出演。大阪の落語家が出演する場合は、どちらかの協会に籍を置かなければならないのが現状。伯鶴は『末広亭』に出たことはない。出演者は、『顔付け』と呼ばれる会議で、協会幹部、協会事務員、席亭(寄席の経営者)が1ヶ月前に決定するシステムを守り続けている。大阪の場合は、『寄席』というよりは、『演芸場』といった雰囲気で、収容人員は1,000人余。漫才が主、落語は1本かせいぜい2本。出演者は、演芸場を持つ興行会社(吉本、松竹など)が決定し、所属タレントが出演する。

 

笑福亭伯鶴(しょうふくてい はっかく) 1957年2月26日、東大阪市生まれ、40歳。魚座・B型。大阪府立盲学校高等部普通科卒業後、75年3月10日六代目笑福亭松鶴に入門。75年5月17日住吉産業会館笑福亭若手勉強会で初舞台。80年12月地元の大阪市淀川区三国センターにて地域寄席「笑福亭伯鶴の会」を始める。92年まで毎月1回。93年より奇数月第4土曜日開催。84年より、毎年秋に独演会を開き、多彩なゲストを迎えて落語だけではなく異世界のゲストとジョイントしている。落語の他、障害者問題をベースに笑いをふんだんに取り入れた講演、パネラー、司会、その他、大喜利など多分野で活躍中。趣味として85年、87年、92年ホノルルマラソン出場・完走。89年ニューヨークシティマラソン出場・完走。その他市民マラソンに多数出場・完走。山登り(日本アルプス等)。相撲観戦。野球観戦(大の近鉄バファローズファン)。最近ではパソコンにも趣味を広げている。「お好み書き」発起人のひとりでもある。



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